夕鵙日記
短歌のblogです。
プロフィール

藪内亮輔

Author:藪内亮輔
短歌をやっていますが詩もすきです。結社「塔」編集委員、京大短歌、歌誌「率」所属。

近作→「歌壇」11月号「天と嘘」12首/角川「短歌」10月号「霊喰ヒM」50首/「文藝春秋」6月号「あまりにも美しい夕焼けが来たときのために」5首/「率」3号「藪内亮輔展~凡才でごめんなさい~」29首

評論近作→「率」3号「短歌にとって瞬間とは何か」/「現代詩手帖」9月号「岡井隆への手紙」/角川「短歌」5月号「斎藤茂吉論」

メール、ご依頼→yabusnake31(あっとまーく)gmail.com



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12.11.29京大短歌歌会
突発歌会、四名。連作歌会の筈だったのだが、私は連作を刷る時間がなく、笠木さんも持ってきていなかったので実質二人分の一五首連作×2を批評した。

企画者の阿波野くんからすれば残念な人数なのかも知れないが、実のところ、私はこの雰囲気の歌会が大好きなのである。もともと私が本格的に短歌に取り組みだしたときは、京大短歌は三人(つまり笠木さんと大森さんと私なのだが)で運営されていた。まあ他にもう一人くらい来て、四名ほどでこじんまりと歌会をやるのが通例だったので、それに慣れてしまったということなのだろう。四名歌会では、十名程度以上の歌会とは別の構造が生じる。つまり、一人づつの個性が強力になり、ぶつかり合うのである。余談だが、人数の多いときはそうでないのに、五人以下の歌会では必ず私と笠木さんの間で喧嘩が起こるのであった。(今日は起こらなかった。)

今日の私の発言としては、連作はスーパーの店頭の切り分けられた肉みたいになってはならない、全体として生きた牛に、つまり眼球や、腸や、周りを飛ぶ蠅が、でこぼことしながらあって、そして生きて居なくてはならない。というものがあった。

歌会の後も食事をしながら、口語文語って区分けがもうださいぜ、永井さんは歌集後半がゆるいんでないか、句集『未踏』の振りかぶったタイトル、笹井さんが天才歌人ってのが解らない、柿本人麻呂、「句集とは音楽で云えば譜面である」(千野さんの発言)は言い過ぎか?、率2について、「正しい旧仮名」は契沖が編纂した、などなどかなり濃い会話が出来て、とても楽しかった。
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京大マッハ付近のこと
ここ二日間、NF(京大の学園祭)に行って来た。

昨日は千野帽子氏主催の「京大マッハ」という公開句会を見に行ったのであるが、なかなかおもしろかった。この公開句会、メンバーに大きな特徴があって、端的に言えば、なんと専門俳人が五人中一人しかいないのである。他は小説家、ゲームデザイナー(ぷよぷよの開発者の一人であったとおもうが…)などで、俳壇の文脈から外れた方が意図的に集められているようだ。しかしながら実際に句会となると、むしろ俳人以外の人が鋭い読みを閃いたり、斬新で可能性のある読みを提示する光景がみられた。専門俳人の沈着高度な読みが、逆に霞んでしまうのである。

私の参加する歌会のことをどうしても想起してしまう。新人さんが時折みせる鋭い読み、突飛な読み、しかしそれを私は〈見当外れ〉だと断じてしまう。イレギュラーで、非常識で、ぶしつけな意見、それをたとえばベンチに落ちているうめぼしのたね一個や、トイレに落ちている食べかけの蜜柑に対するようには、おもしろがれない自分がいる。短歌にはどこか、読み手に向かってのびてゆく倫理のレール〈こう読まねばならない〉があって、それはたぶん詠み手が敷いているんだろうけど、レールを何度も見せられているうちに乗らないといけないような気がしてくる。もしくは、レールを敷きたがる詠み手、倫理的な人が集まっているのかもしれない。

私はあまり好きではない。


(補記)新人さんのする突飛な読み、〈壇全体〉の流れを無視した読みは貴重なものではあるが、堆積し、深度を増すということをしないところに注意すべきだろう。花は枯れたらそれだけだが、地味な山の枯葉たちは土をふかふかで栄養多きものにしてくれる。
塔1988-1992
先月末、塔の某作業のために「塔」1988-1992年を読みました。そのついでとしてtwitterに感想のようなものを書いたので、こちらに転載しておきます。(twitterの方では千種創一さんがtogetterにまとめてくださいました。ありがとうございました。)何か問題あればご連絡ください。

***


塔の別動隊(?)として活躍中の京大短歌会もそろそろ一周年になります。ただ今、新入会員を募集中です。お知り合いの方に「これは」と思う人がいられたら、吉川まで紹介して下さい。吉川(塔1988.05編集後記)

歌歴一年のヨシカワさんの評論きゃわわ

日に灼けてくすみし網戸にしんしんと枡目ひとつを埋める星あり/吉川宏志(塔1988.11新樹集)

伯林(ベルリン)にルビふるごとくぼたん雪”僕に恋するひと”を恋する(吉川宏志)を栗木さんが批評している。〈この一首、顫いつきたいほどに美しい上句が、まだるっこしい下句のために台無しになっている。(略)なぜもっと順直に表現し得なかったのかと惜しまれる。〉#塔1988

一方、よく知られた一首はこうなっている。〈伯林(ベルリン)にルビふるごとき夜の雪 教室にまだきみは残れり〉#塔1988

〈ルビふるごとくぼたん雪〉がどちらかというとぼやんとした雰囲気を出しているのに対して、〈ルビふるごとき夜の雪〉は夜という漢字、「き」の脚韻によって凛としたたたずまいを見せている。#塔1988

無駄なことしてるから作業が遅々として進まない。そしてハッシュタグ的なものがちゃんと付けられてない。

@Yabu_Snake 下句が「"僕に恋するひと"を恋する」のものは、京大短歌1号に出ていましたね。歌集では「教室にまだきみは残れり」になっていましたが、栗木さんからの指摘があったのですね。(@mitsumo)

@mitsumo 栗木さんによる評は基本は褒めてるんですけど、ときどき批判という感じです。改作はどれも発見の句を平明な句に変えてますね。冬の字の二つの点を…の歌に対して、〈小細工を弄しないところに作者の大物ぶりがうかがえて頼もしい〉とも…。(笑)(@Yabu_Snake)

@Yabu_Snake でも、かなり先見性のある評ですよね。関係無いですが、吉川さん関係ならこちらの資料もご興味があれば(ご存知かもしれませんが)。 http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~ida/4Hoka/Talgia/HASHIMOTO/salad.htm … http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~ida/4Hoka/Talgia/Talgia20/betonamu6.pdf … 明日の受賞発表号楽しみにしています!(@mitsumo)

@mitsumo 吉川さんらしい文章ですね…一部分見ただけで吉川さんだと分かりました。(ありがとうございます、初めてみました。)受賞号、僕もどきどきです。見てくだされば嬉しいです。(@Yabu_Snake)

こんな歌もありました。〈ワイパーのように黒板消す君が「ヘンリー七世」届かずにいる(吉川宏志)〉資料を紛失したので確かめられないですが、これは〈冬の昼黒板を消すきみの手が「ヘンリー七世」に届かずにいる 〉となっていたと思います。# 塔1988

吉川さんの月詠がえぐいほど上手い歌ばっかりで殆ど作品欄の最初に載せられていてびびる。#塔1990

初恋のまえにやさしき記憶あり橋の裏より螢浮かべば/さるすべり舗道に細き影落とすそのかげに沿い散れる白花/吉川宏志 #塔1990

河野さん登場。〈わずか読めばすぐに疲れて眠りゆく窓の外(と)くらく雨が降るらし〉河野裕子 #塔1990

(二月号田中栄選歌欄トップに載ってました。) #塔1990

『詩法Ⅹ』に坂野信彦が書いている「比喩全廃論」への反発が強い。栗木京子が時評で反論し、池本一郎が評論を書いている。「比喩全廃論」は、短歌という律文は呪術的であるべきであり、比喩・散文という理知的操作は害である、という論らしい。 #塔1990

吉川さんが塔で無双モードに入っている。作品は常に選歌欄の一番目、選歌後記などでも絶賛ばかり。〈最近の作者の歌は際だって内容が濃く冴えている。…今までこの下句の様に生新に言挙げした事があっただろうか。〉霧雨のなかに噴水ひらきおりわれの代わりを誰も生きるな/吉川宏志 #塔1990

続。〈今月は特に。…若さの特権のような勁さは感動的ですらある。…〉竜胆の鉢を胸まで持ちあげて君ならではのほほえみをする/いつもより遠くの駅に呼びだして肩寄せ合えり 微分のさくら/自転車の荷台は銀に濡れており星の密度の濃くなれるころ/吉川宏志 #塔1990

続。最初に挙げた歌の、特に下句、このセリフに宿る野性味は大森静佳の近作への(私の)印象と幾分かぶるところがある。ひとり吉川祭りしてしまってすみません。でも、このあたりの塔誌ではそれぐらい圧倒的な存在感。 #塔1990

そして河野裕子も安定の田中栄欄トップ掲載。歌はあまり引く気にならないが…〈昨夜(よべ)ひと夜体力使えど歌ならず仕様がなきなり梅を見にゆく〉河野裕子 #塔1990

@Yabu_Snake ごく最近青蟬読みましたけど、どうやら青蟬には入ってない歌ばっかりみたいです……なんという秀歌量産…………(@yama_shina)

@yama_shina まじでか……。量産型シャア専用ゲルググ…(@Yabu_Snake)

@hanzodayo 正直すごいっす。こんなの青蟬に入ってたっけ?的な超いい歌が20くらいあります。(@Yabu_Snake)

三月号編集後記、永田さんの文章。〈吉川宏志君は、このところもっとも多くの注目を集めている学生歌人と言えるだろう。…吉川君は、アルバイト代をみんな個人誌出版のために費やしているという。そんな〈馬鹿〉が「塔」にも現れてきたことに、私は大きな期待をかけている。 #塔1990

わああ遂に吉川さん陥落!!岡部文さんに負けて選歌欄二番目! #塔1990

自家製の氷に白き曇りあり紫陽花茂るふるさとの庭/水練(みずね)りの雲が浮かべる六月を母老い我に若き日続く/紫陽花が壜に挿されてかすかなる遠心力は部屋に充ちたり/揚羽蝶水べりに来てはたたけば黒色火薬をまとえるごとし/吉川宏志 #塔1990

僕だけの野心が欲しい きらきらと竜の部品は路にこぼれて/銀紙を落ち葉に混ぜて焚きいたり人に遅れし怒りはさむく/むしろ夢に逐われて生きんさるすべり油照りする幹を立てたり/吉川宏志 一二月。どちらかというと不安定な歌に惹かれる。 #塔1990

@Yabu_Snake 僕だけの野心の歌、ぐいっと刺さりました。歌も作中主体も魅力的に見えるなんて。(@MahiruTamaru)

@MahiruTamaru 野心の歌いいですよね。なまな主体のみえるつぶやき。(@Yabu_Snake)

籠嶋敦子さんの年間回顧。(吉川宏志に対して)〈塔になくてはならぬ人。「恐龍に詳しかりしわが少年期 梅の木の瘤くろぐろと見ゆ」…相聞よりも「存在」を見据えようとする作品の方がいいと思う。〉 #塔1990

この頃の塔では、若手トリオ:吉川宏志・前田康子・田中雅子が注目されているようだ。前田さんの詩時評が毎回おもしろい。評論も多く掲載されている。(田中さんのはあまりないか?) #塔1990

「すずむ氏よ/ひぐら氏よ/生れて来る前に汝らはすでに意味であった」(藤富保男)を前田さんが詩時評で取り上げている。〈改行によって読者をアッと言わせるユーモア、…「すずむ氏」などと言う造語。前者は使えるとしても後者は原則的に歌の世界では使えないであろう。〉 #塔1990

今年の短歌研究新人賞のことを思い出す。一九九一年分へ。 #塔1990

くそわろた #塔1991 YoshikawaK.jpg


「土屋文明先生に、…高安(国世)の死についてもいろいろお話をいたしました。先生は涙ぐんでただ私の申し上げることを聞いてくださいました。「外国でながい留学をしているのだと思っております」と申しますと「ああ、それがいいですよ」となぐさめてくださいました。」(高安和子) #塔1991

一月号。ああ、ついに土屋文明逝去。時評が栗木京子から花山多佳子にバトンタッチ。 #塔1991

地平線しずかに濡らし雨がふる時間のためのじかんは流れ/つややかな昨日と今日に挾まれてせまき土あり百日紅散る/吉川宏志 #塔1991

表紙絵が高安醇さん(国世の三男)に変わる。吉川さんが編集後記で「短歌をやる男には変人が多いので困る」と愚痴っていておもしろい。 #塔1991

花山多佳子時評が手厳しい。今の歌壇にも通ずるだろう。「現代的な素材を修辞的にもハイレベルでこなしているにもかかわらず、かつての誰かの焼き直しのような新人が多いのは、個個の意識の中で、短歌史がますます無縁になってきているからでもあろう。」 #塔1991

栗木京子が評論で穂村弘のサバンナの象のうんこをべた褒め。「はずし」の巧さと「嵌め」の巧さ。 #塔1991

冬の田に一本足で立ちながら噴水のごと鷺ははばたく/我を遠く離れし海でアザラシの睫毛は白く凍りつきたり/紙箱を投げ入れられし焚火の炎(ひ)ひらたくなりてまた燃えあがる/吉川宏志 少し短歌成立技法が安定してきた感触。すなわち私の吉川祭り終焉は近い。

四月号。吉川さんの安定した有名歌が月詠に混ざり始めた。〈「イラク軍の盲撃ち」と言いし…〉〈バグダット夜襲を終えし機の窓に…〉など。〈選択肢いくつも生(は)えし現実は昆虫のごと動きすばやし〉吉川宏志 #塔1991

一九九一年四月、先の吉川の歌もそうだったが、編集後記は湾岸戦争(終結)一色といった具合。のちに歌壇賞を受賞する壇裕子さんが入会、編集に加わっている。 #塔1991

地味に吉川さんが就職してた。歌の安定感との妙な相関性を感じたところで、私の吉川祭を終了したいと思う。 #塔1991

六月。いつの間にか河野さんが無選歌欄に。 #塔1991

何故か九月号の東海支部特集で井辻朱美・荻原裕幸・加藤治郎・穂村弘などなどの豪華散文が載っている。ビジュアルにびびるのが加藤さんで、何というか歌が散文をぱっくりと割っている…。穂村さんの散文はなんとも凄い。「女の子のいじめ方」という題名。 #塔1991

「女の子のいじめ方のなかで一等おもしろいのは、宇宙船の中でいじめるやり方だ。」から始まって、妙にダサい跳ねるような文体で「いじめ方」はすすんでいく。スカート、二十面相の水攻め、ねずみ色の涙。エッセイ集に収録されてるのかな? #塔1991 

@Yabu_Snake それはショートストーリー集の「いじわるな天使」に入っていますね(@YM_WT)

@YM_WT わ、さすが山田さん。ありがとうございます。確かにいじわるですね

@Yabu_Snake シンジケートの同時代評を集めてるので、栗木さんの文章は興味深いです(@YM_WT)

@YM_WT 栗木さんは『シンジケート』、西田政史、『甘藍派宣言』を四ページ評論で援護してますね。(塔1991年3月号「トンネル神話」。)一首二首では底が浅いが、一巻を読み通すうちに穂村ウイルスに感染してとりこになる、などなど。

さっきの穂村さんの文章はショートストーリー集『いじわるな天使』に入っているそうです…。 #塔1991

これだけ別の作業しながら打ち込んでるの俺だけじゃなかろうか。

三月号、真中朋久登場。澤辺元一欄。花山さんの時評がスパイシーだ。 #塔1992

大山令彦「ロシア通信」が始まった。舞台はモスクワ。この企画は遠く離れていまの千種創一「中東通信」につながっているのだろう。 #塔1992

#塔1020 でいま千種創一・吉田恭大が行っている十代二十代特集批評、その特集が五月号より始まった。永田淳・紅が十代、壇裕子・吉川宏志・前田康子・大山令彦・真中朋久・田中雅子が二十代、など。 #塔1992

目が疲れて20cm先のPC画面が見えなくなってきた。めがねめがね…

・真中さんの写真、髭が無くて圧倒的違和感 ・いつの間にか編集長が吉川さんになっている模様 ・吉川さんのエッセイが或る意味おもしろい ・大山さんが映画に出てくるドラキュラみたいなイケメン(迫真)#塔1992

大山さんぜったい伯爵役とかで映画でられるよ…

ピアニストでのちに角川短歌賞をとる河野美砂子さん(いつもお世話になっている)がいつの間にか出詠している。 #塔1992

「確かに、現在の若手の作品に、従来の意味での私性とか個が全く感じられないことがあるのは事実である。けれども、解体されるほどの個とか主体の在り方が、今までの短歌にあっただろうか。」(花山多佳子時評、七月) #塔1992

十二月号、ついに吉川さん前田さんが結婚。花山さんの時評が終了。同時にわたしの打ち込み作業も終了。予定の朝六時前に終えることが出来てほっとしている。 #塔1992

1988ー1992「塔」の印象 ・吉川無双&編集長就任 ・前田さんの詩時評がコンスタントにおもしろかった。 ・とにかく短歌時評がすごかった。栗木京子の怜悧な状況解剖、花山多佳子のスパイシーで苛烈な批判精神。これはみんな読むべき。 #塔1992

二年半のデータ打ち込みで十一時間くらいかかったのかな。

たいへんお騒がせいたしました。これにて塔回顧1988-1992を終了致します。ではでは。 #塔1992


現代短歌新聞「大学短歌会はいま④―早稲田短歌会―」を読む
やばいです。忙しいです。予想以上に更新が厳しい。

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角川短歌賞祝いで、未来のやすたけまりさんから岡井隆サイン本をいただいた。タイトルは『今から読む斎藤茂吉』。ありがとうございます。ふふふこれでサイン本はふたつ……なんかストーカーみたいだな。

**

現代短歌新聞が届いた。特集「大学短歌会はいま④」は遂に本命の早稲田短歌会。売り出し中~まだ無名あたりのメンバー(わたしの少し後輩たちだ。)が執筆している。執筆陣にひとりぐらいベテランを入れても良かったんじゃないかとも思うが、これはこれで会内の熟慮の結果なのだとひとまず信じて、簡単に記事を追ってみたい。


評論は中川治輝さんの「金環日食と短歌」だが、ちょっとこれは……本当に、相応の時間と気力を掛けて書かれたのだろうか。言いたいことは幾つかあるが、まず引かれている歌がおおかた良くない。

今生の金環蝕を捉へむと人ら群がるサービスエリア 筒井早苗「金環日蝕」
太陽神崇めるごとく近所中総出し仰ぐ金環日食 森田小夜子
太陽が欠けてゆくなど不吉でも神秘でもない夢なきこの世 右田研三

引かれた歌の良さはそのまま評論の魅力、説得力となる。評論の肉体にいきおいよく血をめぐらせるような、そんな歌が読みたい。どうみてもこれらが良い歌であるとは思えない。確かに金環日食の歌は母体数が少ないのかも知れないが、これではあまりにもお粗末である。

金環日食見ざりしことをいささかの負目となして妻といさかふ 中地俊夫「千人風呂」

少なくともこのレベルの歌を集めて欲しかった。

童顔のお天気姉さん信じつつ日食用の眼鏡購ふ 右田研三

更に作品の鑑賞自体も良くない。上歌に対して本評論では〈いわゆる日食グラスである。日食を裸眼で見ることは健康上避けるべきとされ、…(略)…日食を見るほかに使い道がない眼鏡である。〉と解説しはじめるのだが、私は短歌の評論を読みに来たのであって、日食グラスの解説を聞きに来たのではない。この歌の鑑賞には、最後の一文だけがあれば十分である。他にもこのような無駄な解説が多く、げんなりしてしまう。

この評論の致命傷はおそらく二つ、ひとつは引かれた歌があまりにも悪いということ、もうひとつは切り込みの浅さである。〈今年の日食は広域に及ぶものであり、…(略)…日食をどこで見たかが個人の経験の差異を際立たせるのだ。〉のあたり、もしくは科学技術が抒情に与える影響、についてふれながら、しかしさらっと流して〈以上の日食の歌から、記録する文芸としての短歌の一側面をうかがうことができた。〉という他人から借りてきたような安易な結論に行ってしまうというところが、もうどうしようもない。下手な学生レポートレベルと言われても仕方ないと私は思う。早稲田短歌会の批評・評論の力は本当にすごい、とずっと思ってきたので、非常に暗鬱な心持ちになった。

私は、原稿依頼があればかならず、これが最後になっても悔いの残らないものを書きたい、と思っている。それが掲載側への礼だと思っているからだ。むろん、毎回それが出来るとは限らない。私はすこし、他人に対して狭量なのかもしれないが…。


リレー批評(早稲田短歌→外大短歌)については、そんなにお行儀よくしなくてもいいのになあ、とだけコメントしておく。


会員作品はかなり良かった。本郷短歌のときは会員作品に衝撃、ゆさぶられる感覚を受け、嫉妬心も燃え上がったのだが、早稲田短歌はまた別、からだの間接をすべて忘れていくようなここちよさ・涼しさを感じた。

二学期のはじまる朝に九匹のほたるをつれてくるあきこちゃん 狩野悠佳子
教科書に載っている人は呼び捨てにしてもいい人死んでいる人
二十時間くらい誰とも喋っておらずシャワーの温度は少し高めにする 佐久間慧
これまでに多くの人が座った椅子に座って同じくらい生きている人と笑う
呼気でにごる窓に少女がつっと絵をかいてそこから見えるのが海 山中千瀬
あまつぶが町をあざやかにしていく(見てなよ)生まれたいのだね町

狩野さんは二首目のような、いわゆる「いい歌」も作れるのかもしれないが、どちらかというと一首目のような歌が大事なのだと思う。あきこちゃんってだれなんだよ(私はなんとなく想像できるけど…)とか、九匹のほたるを連れてくるという自由さが、なんとも読者としてはうれしくて、しかも「ほたる」というひらがな表記もあいまって、「あきこちゃん」がどこか愛しくなる。この作者は、作っているとすぽーん、とことばが飛んでいってしまうんだろうな、と思わせる一連。

佐久間さんはかなり完成度が上がって来ている。文体だけで唸らされてしまう。彼はたぶん、永井祐さんの歌を如何にして嫌いはじめるか、が勝負となるだろう。この連作「反省会」は、表題歌もふくめてかなり好きな連作だった。低温生物、というかんじの主体が妙に説得感を持っている。

山中さんの歌は全体的に不安定で、しかしもっとも私の胸の深部にとどいた連作だった。〈行かなくちゃあたしたちの暮らしに〉〈うそでいいから虫たちに雪をあげよう〉〈あれはみんなあなたを見送りに来たひとたち〉〈(見てなよ)生まれたいのだね町〉など、透明なよびかけ群が感動的に、ひややかに、私を通りぬけてゆくのに涙ぐみそうになる。完成度はあやしいけれど、すごいです。平岡さんの影響がちょっとあるかな。




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