夕鵙日記
短歌のblogです。
プロフィール

藪内亮輔

Author:藪内亮輔
短歌をやっていますが詩もすきです。結社「塔」編集委員、京大短歌、歌誌「率」所属。

近作→「歌壇」11月号「天と嘘」12首/角川「短歌」10月号「霊喰ヒM」50首/「文藝春秋」6月号「あまりにも美しい夕焼けが来たときのために」5首/「率」3号「藪内亮輔展~凡才でごめんなさい~」29首

評論近作→「率」3号「短歌にとって瞬間とは何か」/「現代詩手帖」9月号「岡井隆への手紙」/角川「短歌」5月号「斎藤茂吉論」

メール、ご依頼→yabusnake31(あっとまーく)gmail.com



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杉村昭代の歌
水の中に少しゆがめる鍋の形疑えばすでに疲れておりぬ
父と母のいさかうに泣きていし少年光る眼をして出でゆきしかな
どくだみの芯たちまちに濡らしつつ巡りの雨は青く光りぬ
美しく墓石並べる墓地ありぬ淋しさは死後にも続きてゆかん
焙らるる魚の眼に噴く塩見つつ何に重たき想いわが持つ
黄の手袋失いし故その逢いを忘れずにいる我かも知れず
奪われて耳朶あつく伏せしより軋みて雪はわが為に降る
思いきり憎まれており麦星は麦のいろしてまた巡りきぬ
海に行きたがる少年と土砂降りの雨ときらきらし我に真向い
おぼつかなく闇にすがれる螢の火と汗ばまぬわが掌と夏ひそかなり
少年のあなたが海を欲しがりし海よおだやかな愛の冒頭
うっそりと茶をのむ人が言う時に烈しさは胸をそれてしまいぬ



杉村昭代(のちに尾田昭代)は1957年夏に高安和子から葉書をもらい、「塔」に入会した歌人。「塔」誌掲載は同年11月から。82年に歌集『雪炎え』(昌栄印刷株式会社)を上梓、「塔」、同人誌「斧」、角川「短歌」誌掲載の歌を収録している。ちなみにこの歌集は滋賀県立図書館で閲覧可能。掲歌は「塔」バックナンバーから。

もしくは私の手癖なのだろうか、琴線に触れる歌を抜き出すと、不思議と光の歌が多いことに気がつく。しかしそれは私の使うようなやわな光ではなく、〈父と母のいさかうに泣きていし少年光る眼をして出でゆきしかな〉この「光る眼」(目、ではないことにも注視しながら)のもつ根源的な淋しさと強さなのである。第二句・三句の韻も個性的で、母音iだけを黒丸とすれば、[●○○○●○●○ ●●○○○]となっており句跨りによって半分断された「泣きていし」という一語のほとりで、少しずつ丁重に詰まっていくi音を私の耳は聴くのである。
また、〈思いきり憎まれており麦星は麦のいろしてまた巡りきぬ〉に於いて麦の熟れる頃に出るというアルクトゥルスの輝きに対置されるのは憎しみ、しかも「思いきり憎まれており」というざっくばらんな言い口の憎しみなのである。
〈海に行きたがる少年と土砂降りの雨ときらきらし我に真向い〉音韻版慣性の法則で次へゆきたがる音を何度もストップさせる定型の切れ、が巧みに土砂降りの前にたたずむ全力の少年を表している。まさしく、この現象はきらめきだ。
彼女は「愛」を主題としていた。そう、自身で強く思い込んでいたのかもしれない。しかし私は、それは間違いだったのだと断言したくなる。なぜなら、愛とはただの言葉だから。ほんの少し解析するだけで、彼女の韻律に個別で特徴的な顔つき、表情を発見することができる。私はその、幾つかの表情をこそ愛したい。

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